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2022/07/04 憂鬱と戦うためのFPS

 2022/07/04 憂鬱と戦うためのFPS

 10年以上FPS/TPSを遊び続けている。初めて触れたFPSはたぶん『パーフェクトダーク』で、友人宅で64に謎の追加パーツを取り付けないと遊べない玄人向けゲーム、といった紹介をされた。よくわからないまま撃たれ続けて特に楽しいとは思わなかった。

 自発的にFPSに向き合ったのはWiiで出ていた『ゴールデンアイ』(リメイクの方)だった。友人宅で徹夜で遊ぶイベントに向かう途中のBOOKOFFでたまたま中古で買い、友人たちには不評だったけれどわたしは夢中になった。友人4人の中で一番FPSが上手かったからかも。たぶんそういう小さな自信を持てたから気に入ったんだと思う。

 ゴールデンアイといえば64の方が有名だという話は数年後に知った。誰かと一緒に遊ぶこともなく、毎日黙々とマルチプレイで撃ったり撃たれたりしていた。

 

 PCでFPSを遊んだ、マウスとキーボードでプレイするようになったのは『L4D2』から。ゾンビを倒しながら進んでいく超名作ゲームで、当時もう発売から数年経っていて自分のノートPCでも問題なく動いた。

 Twitterで惚れ込んでしまっていた絵描きの人がL4D2マルチプレイを募集しているのを見て、何とかお近づきになろうとSteamで購入した。下心で始めたゲームだったけれど、そこそこ活躍できたのでまた自信が深まった。深夜に人が集まったら最高難易度のマップに挑み、何度も全滅して、クリアしたり挫折したりした。

 VCを全く使わないコミュニティで、何時間も一緒にゲームをしたけれどやり取りはほとんど定型文になっていた「hannkaku」(日本語入力にしていないことをアピールして準備完了だと伝える)くらいだったと思う。

 誰が何が得意で、自分が何をすればクリアに近付けるのか、倒れた味方を助けるのか見捨ててクリアを目指すのか(その結果人間関係に影響は出るか)といったことを自分なりに考えていたと思う。

 

 その後L4D2の対戦を主に遊ぶコミュニティにも顔を出すようになり、FPSへの向き合い方がまた少し変わった。明確な勝敗があり、勝利につながるマップ知識や立ち回りの知識があり、ゲーム内で支持を出すリーダーがいて、スナイパーライフルを任されるAIMが上手いエースプレイヤーとそれ以外の区別が明確にあった。

 私生活では腹パンされて気絶したり家が燃えかけたり交際相手の自殺未遂を止めたり忙しかった。精神的にかなり追い込まれて、状況が改善してからもしばらく布団に潜り込んで壁を眺める生活が続いていた。

 それでも夜になればL4D2の対戦募集があるので布団から這い出て4人チームで勝利を目指した。ソンビを殺し続ける作業に没頭することで辛さを忘れられたし、自分にも何か達成する能力があるんだと確認できて安心できた。

 知識の大切さ、知っている上で理想的な動き、対応ができるための練習を積む必要があること、個人個人が活躍することとチームとして活躍することの違い、役割分担の大切さについてお説教をしてもらい、以降社会人になってからも折に触れて思い出す。

 

 その後『EVOLVE』が流行りかけて廃れたり『Overwatch』がやってきてコミュニティが緩やかに解散していったりして、わたしは『PUBG』を遊ぶようになった。AIMの大事さ、今後の展開を考えながらの行動、与えられた情報から次の状況を予測する力、みたいな話をずっと考えていた気がする。結局わたしはアグレッシブな撃ち合いがしたかったのでコミュニティを離れて『APEX』に移ったように記憶している。同時期もしくはAPEXに前後して『タイタンフォール2』のマルチ対戦も遊び始めた、と思う。だいぶ記憶が曖昧な時期なので自信がない。

 

 社会人になって、仕事のストレスをすべてAPEXにぶつけていた。敵プレイヤーのやろうとしていることを察して対応し、倒した時にコミュニケーションが成立したような気がして楽しかった。画面上では撃ち殺しているけど、APEXというゲームの制約の上で無言の会話が行われて、自分が一枚上手を行った、相手をちゃんと理解できた証に思えて心が安らいだ。

 逆に自分の試みをすべて先回りされて倒された時も理解者に出会えたような気がして安心できた。もっとうまくなれる、最適な判断がある、と分かって未来に希望が持てた。

 

 と、自分のFPS歴を書き出してみると、結局ストレスと向き合うための手段としてずっと遊んできているんだなというのが改めて実感できる。ただ、別に有名FPSプレイヤーとして名を挙げました、というオチでもなく、今日もAPEXのランクマッチに潜って人を撃って「匿名のあなたについて知りたい」「匿名のわたしについて知って欲しい」と寂しさを紛らわせている。

 こういう気持ちで戦っているので、バトル漫画でよくある「命のやり取りをすると相手を深く理解してしまう」という話はもしかしたら本当なのかもな、と思う。自分より弱い相手が持っている技術を全部使って生き延びようとする姿を見ると小さい子供を見るような穏やかな気持ちになるし、こういう思考のクセがあるなとか感情的になる性格なんだなとかモニター越しに相手を理解できた安心感がある。理解した結果として相手は(ゲーム上)死んでしまうのは儚いと思う。

 だいたいのことをFPSで学んだ自分にとって、APEXはコミュニケーションについて考える教材になっているのかもしれない。

 

※最近は友人と『Fortnite』を遊ぶこともあり、こっちは気軽に遊ぶ程度なら基本的に負けることはないのでのびのびと人を撃っている。叱る叱られるの関係のないVC付きの撃ち合いはほぼ初体験なので、とても気楽で良い。