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休職してる、眠れない、コンサータは何だったんだろう

2022/07/04 休職してる、眠れない、コンサータは何だったんだろう

 眠れない!

 休職して4ヶ月目に突入し、当初の問題だった軽い鬱はだいぶ改善した。急に落ち込むこともなくなったし、突然ここは何処わたしは誰状態にもならなくなった。休職前は人の話し声すべてが苦痛で耳栓をつけて生活していたけれど、今は街角で人の会話を聞いたりしながら散歩できている。

 問題は睡眠、特に入眠で、5時くらいまで眠れないことが増えた。その代わり一日15時間くらい眠るようになった。洗濯くらいしかやることもないし寝続ける生活も治療の一環と言い訳をしていたけれど、最近はとにかく暇で焦りを感じるようになった。

 

 生活リズムを無理やり朝方に固定しようと徹夜+コンサータで一日乗り切ろうとしてみたこともあったけど昼前に意識が消えて結局長時間寝込んだだけだったし頭痛が酷くなった。

 仕事中に集中力がゼロになってしまい、散歩に行くとかトイレに籠もるとか、精神力を回復する時間を取らないとごくごく簡単な雑用すらできない状態になってしまい、コンサータの処方をしてもらえないかと近所の病院に相談したら最速で処方が出た。

 初めてコンサータを飲んだ時は世界の色が変わったようで、透き通った静かな脳内にイヤフォンから流れてくる音楽がスッと入ってきて「脳みそがしっかり音楽を掴んでいる!」と感動したのを覚えている。

 仕事も集中できるようになり、新しい業務にも挑戦させてもらい全部が上向きになるはず、と信じていたけど、その実会社に足が向かなくて毎日タクシーで出社する生活をしていた。昼休みには家にシャワーを浴びるためにまたタクシーで帰っていた。食事は全部UberEatsを頼んでいた。働くとお金が減るという状態が1年ほど続き、貯金が尽きそうになったのと同時に突然精神的なエネルギーが完全にゼロになってしまい、職場で耳栓をつけて一人で机に座っている以上のことができなくなってしまった。

 使い物にならなくなってしまったのでそのまま速やかに休職することになった。

 動けな唸るまでの2年間、常に体調不良を抱えていたし、まとまった休みをもらって調子を戻したいとも思っていた。うまく伝えることができず、辛いけれどまだ頑張る余地はあります、という言い方をしてしまうせいで傍目には問題を抱えつつも頑張っている新人に見えていたのかもしれない。

 結局休職してわかったのは、コンサータは限界が近くなっていた脳みそを無理やり動かす役に立っていただけで自分の生活を良くはしてくれていなかったということ。休職直前の時期は徹夜の眠気を飛ばすために飲んだりしていて、服用する量を増やすような乱用こそしていなかったものの自分の限界から目をそらすために頼っていた。

 「とにかく休養を取れ」という休職の方針で確実に体調の回復は実感しているけど、それでも自分はもっとできるはずなのにという悔しさを思い出してしまうことは時々あって、冒頭に書いたようなパワーアップアイテムとしての使い方をしてしまった。結局ない元気、ない健康は絞り出せないのでなんの役にも立たず、いわゆる「魔法の杖は存在しない」ことを改めて実感しただけだった。

 今思うと職場の上司のアンケートとほぼ自己申告の検査でコンサータが処方されていたことがおかしいように思う。飲み始めてしばらくしてからADHD傾向の簡易テストを受けて、これでADHDではないと診断されてしまったらコンサータが貰えなくなってしまうと焦って盛った回答をした結果でもギリギリラインを超えるかどうか、だったし。

 

 とにかく最近は眠りすぎてしまうこと、入眠時間が遅くなってしまうことに悩んでいる。友人に言われた「もっと本気で寝ることができるはず」という言葉にウッと言葉が詰まってしまった。早めにお風呂入ってスマホいじらずに耳栓とアイマスクを付けて布団に潜り込めば今より少しはマシな睡眠が取れるはずだなぁ、不眠をアイデンティティにして寂しさ回避のお喋りに興じてはいけないなぁと回らない頭で考えたりした。

 自己認識では、脳の働きが全盛期の8割もない。治療と休職が終われば頭の回転は戻るのか、それともずっと眠たいまま人生の諸問題に対処しないといけないのか、少し不安だけど脳が曖昧なのでしばらくすれば忘れてしまう。

 

 以下、曖昧な状態でもかろうじて覚えていたアドバイス

 「メンタルヘルスに行くのは良いけどメンヘラになってはいけません、寂しくて人に通話をかけてしまうのはメンヘラですよ」

 「酒は眠りを手助けしてくれない」

 「死ぬ時は誰でも孤独に死と向き合わないといけないと考えると恐ろしい」(記憶ないけど自分の発言らしい)