思い出すためのメモ

忘れないようにメモします

宮崎夏次系

 最近漫画を描いている。

 描くとDiscordの友人が褒めてくれる。褒めてもらいたさ構ってもらいたさを動機に、漫画ってこんな感じだろうというものを作ると漫画家がしっかりと添削してくれるので申し訳ない気持ちになる。

 漫画があり読者がいて指導まで受けているのでありがたい状況なのだけれど、漫画ごっこに真剣に取り組むことはあっても自分のことを漫画を描く人間だとは考えていない。漫画家はもっと漫画が好きな人がなるものだと思う。描けるものだけ描いて、絵が下手で伝わらなくても素人だから特に後ろめたくは思わない。

 と、都合の良い立ち位置でコンプレックスとは無縁のお絵かきをしていたのに、宮崎夏次系の『と、ある日のすごくふしぎ』を薦められて大変ショックを受けてしまった。

 今まで作品や作家の好き嫌いはあれど、それは読者としての好き嫌いだった。『と、ある日のすごくふしぎ』を読んで初めて描く側としての気持ちで絵がうまくて悔しいという気持ちになった。

 なんで宮崎夏次系なの、という問題には自分でもまだ答えが用意できていない。おそらく、自分が漫画(みたいなもの)を描く時にできないからごまかしている部分を宮崎夏次系はできるうえで曖昧に描いている、という認識をしてしまったからで、宮崎夏次系の漫画の何がそのトリガーになったのかは分からない。別に漫画家じゃないしこれくらいでいいでしょう、という甘えた気持ちを指摘されたようで恥ずかしくなった。

 それから一週間くらい漫画が描けないままで、Amazonで注文した宮崎夏次系の漫画がどんどん届いてきている。乗り越えて漫画が描けるようになるのか、そもそも漫画が描けるようになる必要はあるのか、なりたいのか、どうしたいのか、人生とは…というぐるぐるした考えから抜け出せないでいる。